「セミリタイアって、本当に楽しいのか?」
もし、数年前の僕にこの質問をしたら、間違いなく「そんなの無理だ」と答えていたと思います。
なにせ僕は、大学卒業後ずっと銀行員。安定を求めて入った会社で、安定という名の“檻”に閉じ込められていました。
朝の満員電車、上司の機嫌取り、終わらない会議。仕事はできても、心が死んでいくような毎日。
それでも「ここを辞めたら終わりだ」と思い込み、歯を食いしばって働き続けていました。
でも気づけば40代を過ぎても、「この仕事を続けたい」と思える瞬間が一度もなかったんです。
53歳、ハローワークで立ち尽くす
そんな僕が会社を辞めたのは、53歳の夏。
銀行、外資、ファンドと渡り歩いた末に、行き着いたのはハローワークの窓口でした。
正直、プライドはズタズタでした。あれだけ肩書きにこだわっていた自分が、履歴書を片手に職員に相談している。
情けなさと同時に、不思議と「もう一度、生き直そう」と思えた瞬間でもありました。
求人票の中にあったのが「タクシードライバー募集」の文字。
フルコミッション、年齢不問。
初めて、“過去の自分”が何の役にも立たない仕事を選んだ瞬間でした。
タクシーという“セミリタイア”の入り口
初めは怖かった。
でも、ハンドルを握り、夜風を切って走っていると、心が少しずつ軽くなっていったんです。
「上司に報告しなくていい」「今日の売上は自分の責任」「お客さんとの関係はその一瞬だけ」
銀行時代にはなかった“自由”がそこにありました。
もちろん、給料は安定しない。
でも、時間の自由度は圧倒的に高い。
昼は自分の時間、夜は仕事。そんな生活が心地よくなっていきました。
それに、サラリーマン時代に始めた株式投資と太陽光発電の副収入が重なり、
「働かなくても回る仕組み」ができあがっていたのです。
結果、僕のセミリタイアは「働かない自由」と「働く楽しさ」の両立になりました。
セミリタイアは“何もしない自由”ではない
誤解されがちですが、セミリタイアは“怠ける自由”ではありません。
むしろ、自分の責任で生きる“覚悟の自由”です。
僕の場合、タクシーという仕事が“社会との接点”であり、
太陽光や株式が“経済的支え”であり、
家族や趣味が“心の支え”になっています。
仕事も投資も「生活の一部」であり、どれも「やらされていない」こと。
これが、セミリタイア後の何よりの幸福でした。
セミリタイアが楽しい理由
① 時間を「自分発」で使えること
誰かに管理されるのではなく、自分で決めて動ける。
② 仕事が“生きるため”から“楽しむため”に変わること
収入よりも、心の充実を優先できるようになる。
③ 不安も含めて“自分の人生”になること
すべて自分の選択。だからこそ、日々が実感を伴う。
セミリタイアは、逃げでも終わりでもありません。
「社会の中で、もう一度、自分のペースで生きる」ことなんです。
働かない自由と、働く喜び
タクシーのハンドルを握りながら夜の街を走ると、かつての自分が見えます。
スーツを着て、疲れた顔で歩く会社員たち。
でも、今の僕は笑っている。
仕事が終わったら株価をチェックし、休みの日は家族と旅行に行く。
人生のスピードを、自分で決められる喜び。
これが、僕にとっての「セミリタイアの楽しさ」です。
まとめ:セミリタイアとは、心を取り戻すこと
セミリタイアは、“金銭的自由”を手にするためのゴールではありません。
“心の自由”を取り戻すためのスタートラインです。
僕は53歳で会社を辞め、タクシーに乗り、太陽光を回し、株を育てています。
それでもまだ、人生は途中です。
「もう遅い」なんて言葉は、誰が決めたんでしょうね。
走るスピードも、休むタイミングも、全部自分で決めていい。
そう気づいた今、僕は心からこう言えます。
──セミリタイアは、楽しい。
働くことも、生きることも、ようやく“自分のもの”になったから。

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